「エッセイ」とは?意味や使い方をご紹介

誰しも一度は読んだことがあるでしょう「エッセイ」ですが、日本と欧米でかなりイメージが違っていることをご存じですか?本記事では「エッセイ」の意味や使い方はもちろん、その原点となった文学作品や日本最古のエッセイについてなど、詳しく紹介いたします。

目次

  1. 「エッセイ」の意味
  2. 「エッセイ」の使い方
  3. 「エッセイ」の源流
  4. モンテーニュの『随想録』
  5. 日本最古の「エッセイ」

「エッセイ」の意味

みなさんも「エッセイ」を一度は読んだことがあるかと思います。「エッセイ」とは「随筆」または「自由な形式で書かれた個性的色彩の強い散文」のこと。「随筆」とは「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章」のことです。

日本三大随筆である『枕草子』『方丈記』『徒然草』は有名ですね。現代のエッセイストとして有名なのは、晩婚で世間を賑わわせた阿川佐和子や、漫画『ちびまる子ちゃん』の作者さくらももこなどでしょうか。

小説よりも気軽に読め、作者の生活を垣間見ることができたり、思想や価値観からヒントをもらうことのできるエッセイ。今回は魅力あふれるエッセイについて、少し掘り下げてみたいと思います。

「エッセイ」の使い方

エッセイは文学ジャンルのひとつです。ですから、「エッセイを書く」「エッセイを読む」といったように、「小説」や「本」と同じ感覚で文章に組み込んで問題ありません。「(特に商業として)エッセイを書く者」としては「エッセイスト」あるいは「随筆家」という言葉を使います。

また最近は、文章ではなく漫画で見聞・経験・感想などを表現する「エッセイ漫画(コミックエッセイとも)」というものも登場しています。

「エッセイ」の源流

ところで、みなさんは「エッセイ」と聞いたとき、そこにどんな印象を持ちますか?“堅苦しそう”“難しそう”というイメージを持つ方はあまり多くないのではないでしょうか。

私たち日本人にとって、「エッセイ」は概ね身近でフランクな存在です。あの『枕草子』や『徒然草』だって、現代語訳されれば内容自体は決して理解しがたいものではありません。ところが欧米における「エッセイ」は、論文調でもう少し高尚なイメージのある文学なんですね。

その「エッセイ」の源流となったのは、ルネサンス期を代表する哲学者であるミシェル・ド・モンテーニュの『随想録(仏:Essais、エセー)』です。

モンテーニュの『随想録』

「Essai」はフランス語で「試み」のこと。モンテーニュは従来のようないわゆる“哲学ありきの哲学書”ではなく、自身の周囲にあるさまざまな事柄、体験、または古典文学の引用などから、人間性や生き方などを探求しようとしました。

「我思う、故に我あり」という言葉で有名なルネ・デカルトや、「人間は考える葦である」というフレーズでお馴染みのブレーズ・パスカルなどにも多大な影響を与えたというこの『随想録』は、モラリスト文学(人間性と人間の生き方とを探求し、これを主として随筆的・短編的に書き著した文学)の礎を築いたと言われています。

こういった背景から、欧米では「エッセイ」といえば『随想録』の流れを汲む、論文調で思索的な文章を思い浮かべる傾向があるのです。

日本最古の「エッセイ」

日本最古の随筆と言われているのは、平安時代に清少納言が執筆した『枕草子』です。「春はあけぼの」という書き出しは、日本人なら誰しも知っているというくらい有名ですよね。日常のさりげない事柄・情景や、四季それぞれの趣などを鋭い美的センスで捉え、「をかし」という言葉で表現した文学作品です。

ちなみに清少納言という名前は通称で、清は清原という姓から取ったもの。少納言は官職名なのですが、彼女の身近に少納言を務めた人物が見つからず、どこから取ったものかは不明です。父も曽祖父も著名な歌人というインテリ一家の生まれで、清少納言自体も才女でした。その才女ぶりは、小倉百人一首に収められている彼女の和歌にも表れています。

小倉百人一首62番

ある夜、清少納言は美男で有名な藤原行成と逢引していましたが、宮中で用事があると言って行成はすぐに帰ってしまいました。翌日、さすがにまずいと思ったのか「昨夜はすまない。鶏の鳴き声に急かされてしまってね」なんて言い訳の文をよこした行成に、清少納言が返したのが以下の歌です。
 

夜をこめて、鳥の空音(そらね)ははかるとも、よに逢坂(おうさか)の関(せき)は許さじ

この歌は「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の故事に由来しています。老子の『道徳経』に収められている、中国の函谷関(かんこくかん)という関所に、戦国四君のひとりである孟嘗君(もうしょうくん)が追手から逃れてたどり着いたときのエピソードです。

孟嘗君は一刻も早く函谷関を抜けなければならないのですが、関所は夜の間は閉じられています。そこで味方のひとりの物真似名人が、鶏の鳴き真似をして朝だと勘違いさせ、関所を開かせたというのが「鶏鳴狗盗」の故事。

これを引き合いにして、清少納言は「鶏の鳴き真似をしたって、函谷関ならともかく逢坂の関は開きませんよ」と返したのですね。逢坂の関は山城国(やましろのくに)と近江国(おうみのくに)の国境に実際にあった関所ですが、和歌では度々「(特に恋人同士が)逢う」ことにかけて「逢坂の関」と詠まれています。

咄嗟に中国の故事を絡めてひねりの効いた歌を詠んだ清少納言の、教養の深さや頭の回転の良さがうかがい知れるエピソードですね。ちなみに『枕草子』にも、藤原行成の名は頻繁に登場します。興味があれば、そちらもぜひ調べてみてくださいね。


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