「英雄色を好む」とは?意味や使い方をご紹介

「英雄色を好む」は簡単に言うと「英雄には女好きの人物が多い」ということわざですが、これって本当でしょうか?本記事では「英雄色を好む」の意味や使い方はもちろん、英雄が色を好むと言われる理由や、実際に色を好んだ偉人を紹介します。

目次

  1. 「英雄色を好む」の意味
  2. なぜ「英雄色を好む」と言われるのか?
  3. 「英雄色を好む」の使い方
  4. 「英雄色を好む」の実例①カエサル
  5. 「英雄色を好む」の実例②曹操
  6. 「英雄色を好む」の実例③豊臣秀吉

「英雄色を好む」の意味

みなさんは「英雄色を好む(えいゆういろをこのむ)」という言葉をご存じですか?「英雄色」ってどんな色だろう、なんて不思議に思う人もいるかもしれませんね。正しい言葉の区切りは「英雄、色を好む」で、これは「英雄は女色を好む性向がある」という意味のことわざです。

「英雄」とは「文武の才の特に優れた人物」または「実力が優越し、非凡な事業を成し遂げる人」のことです。「女色」は「女性との情事。いろごと」のことで、「色」という言葉には「異性」や「情事」などの意味があります。

なぜ「英雄色を好む」と言われるのか?

英雄が色を好むと言われている所以(ゆえん)ですが、「英雄は力が有り余っているから」「英雄は精力的だから」といったものが一般的なようです。

性欲を司るとされる男性ホルモンの一種“テストステロン”は、闘争本能を高めると言われています。逆に闘争がテストステロンの分泌を促すという研究結果もあります。闘争と性欲に相互関係があるとしたら、英雄が色を好むのも自然な成り行きなのかもしれません。

またワシントン大学が女学生128人を対象とした実験を行ったところ、サイコパス、マキャベリスト(権謀術数主義者)、ナルシストの3要素を備えた男性は女性によくモテることがわかりました。

いくら性欲が強くても、相手にしてくれる女性がいなければ始まりません。精力的かつ性的魅力の高い人物が多いことから、英雄が色を好むと言われるようになったのでしょう。

「英雄色を好む」の使い方

「英雄色を好む」ということわざは、「英雄色を好むの例に漏れず、彼は相当な女好きだ」「英雄色を好むとはいえ、彼の放蕩(ほうとう)ぶりは目に余る」など、他者に対して使用するのが基本です。

ただし「少しくらいいいじゃないか、英雄色を好むと言うだろ?」と自身の女癖に対する弁明として用いられることもあります。この場合は自分で自分を英雄としているわけですから、かなり不遜か冗談めかしたニュアンスになります。

「英雄色を好む」の実例①カエサル

「英雄色を好む」の実例として挙げられることの多いのが、古代ローマの政治家ガイウス・ユリウス・カエサルです。英語読みでジュリアス・シーザーと呼ばれることもあり、彼の放った「ブルータス、お前もか」というセリフは世界的に知られています。

カエサルといえばなんといっても、世界三大美人のひとり、エジプト女王クレオパトラ7世との恋愛が有名です。が、それ以外の相当数の女性にも手を出していたようです。一説によれば、元老院議官の3分の1が彼に妻を寝取られたのだとか。

そんなカエサルは当時世間から「ハゲの女たらし」という、なんとも衝撃的なニックネームをつけられていたそうです。ちなみに先述したテストステロンは、毛髪の成長を抑制する働きの遠因であるとも言われています。カエサルはまさに「英雄色を好む」を体現した人物だったと言えるでしょう。

「英雄色を好む」の実例②曹操

古代中国の武将である曹操も女好きとして知られています。彼の妻の正確な人数はわかりませんが、少なくとも13~16人いたと言われており、子どもも30人余りいたそうです。十数人の妻に加えて妾もいたとしたら、かなりの女好きと言えるのではないでしょうか。

曹操の女好きのエピソードとして最も有名なのが、197年に起こった宛城(えんじょう)の戦いです。一旦は降伏した張繍(ちょうしゅう)に反乱を起こされたことによる宛城の戦いの発端は、曹操が張繍の叔父の未亡人に手を出したことだと言われています。

また曹操は若かりし頃、新郎を待つ初夜の花嫁を盗み出したという仰天エピソードも持っています。正史(国の歴史書)に記されている逸話ではないので真偽は不明ですが、本当だとしたらかなり大胆不敵ですよね。ちなみに女好きなだけでなく、彼は当時の中国では珍しくフェミニストでもあったようです。

「英雄色を好む」の実例③豊臣秀吉

日本を代表する「英雄色を好む」人物といえば、なんといっても豊臣秀吉でしょう。秀吉の正妻は北政所(きたのまんどころ)とも呼ばれる寧々(ねね)ですが、側室もわかっているだけで十数名存在します。

寧々が秀吉の浮気に耐えかねて、織田信長に訴えたという逸話は有名です。その際に信長が寧々に宛てた手紙には「お前ほどの女はあのハゲネズミには二度と見つけられぬだろう」と認められていましたが、この「ハゲネズミ」という呼称、カエサルの「ハゲの女たらし」を彷彿とさせますね。

ちなみに秀吉と同時代に活躍した上杉謙信は、対照的に妻も妾も持たず一生不犯(いっしょうふぼん)を貫いたと言われています。謙信の場合は、性指向の問題だったのか自身の帰依する毘沙門天の教えだったのか今もって不明ですが、必ずしも英雄が色を好むわけではない好例と言えるでしょう。

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