「驕る」とは?意味や使い方をご紹介

みなさんの周りには、偉そうだったり、相手を見下す人はいませんか?そのような人には、ちょっと近づきがたいなと感じるかもしれません。日本の文化では、「驕(おご)る」ことはあまり良しとされていないようです。ここでは、「驕る」の意味や使い方をご紹介します。

目次

  1. 「驕(おご)る」とは?
  2. 「驕る」の使い方
  3. 「驕る」の類義語
  4. 自慢したいときもあるけれど

「驕(おご)る」とは?

「驕る」とは、自分の才能や地位などを鼻にかけて、わがままに振舞ったり見下したりすることです。「頭がいい」「運動ができる」「絵がうまい」「社会的地位がある」「お金がある」などの事柄を、あからさまに主張し偉そうな態度をとる人を、「驕りのある人」「傲慢(ごうまん)な人」と呼ぶことがあります。

「驕りのある人」は煙たがられることもある

たとえば、学校ではいくら頭が良いからといって、勉強が苦手な人を馬鹿にしていると、クラスで孤立したり嫌味な奴というレッテルを貼られてしまう可能性があります。

職場では、自分が上司だからといって、部下に仕事を押しつけたり不必要な雑用まで命令したりしていると、嫌な上司だと思われてしまうかもしれません。また、人気商売である芸能人は、ファンへの対応や上下関係に厳しいようで、売れているからといって極端に周囲を見下す人は「干される」ことがあるとも聞かれます。

「驕る」の使い方

「驕る」は「驕り」「驕らず」「驕った」などと変化させて使うことができます。たとえば、「あいつは驕っているから嫌いだ」「お前のなかには驕りがある」と、誰かを批判するときに使うこともあれば、「決して驕らずに」「驕りを捨てなさい」といったように、戒めとして使うこともあります。

戒めの場合は、「調子に乗っていると、いつか痛い目にあうぞ」という警告と、「痛い目にあいたくないなら、つつましくありなさい」という助言が含まれています。

「驕る」の類義語

ここでは、「驕る」の類義語をご紹介します。

「天狗になる」

「天狗になる」とは、才能や成果を褒められて得意げになることです。一説によると、天狗は修行僧が妖怪になった姿ともいわれており、修行僧のときに得た知識をひけらかすことが好きなようです。このことから、自分の長所を自慢したり得意げになったりすることを、「天狗になる」というようです。

天狗の鼻が長いことをたとえて、「鼻にかける」「鼻が高い」という言葉があります。どちらも得意げになることを意味しています。
 

「傲慢」と「高慢」

相手を格下だと判断して見くびることを、「傲慢」や「高慢」ということがあります。「傲慢」と「高慢」をめぐっては、両者の意味は微妙に違うとする意見や、違いはないとする意見に分かれるようです。違いがあるとする人のなかには、「傲慢」は見下して突っかかってくる人、「高慢」は見下すだけで突っかかってはこない人、と解釈する意見もあるようです。(また、実際は優れていないのに、勘違いして他者を見下すことを「傲慢」、実際に優れていて見下すことを「高慢」とする意見もあります。)

「驕る平家は久しからず」

「驕る平家は久しからず」とは、どんなに栄えている人でも、わがままな振舞いをしていてはいつか衰退してしまうという意味のことわざです。

平安時代において、平家は政治の実権をにぎっていましたが、権力に鼻をかけ、身勝手な振舞いをしたために、それに反発する者(源氏)に滅ぼされてしまいました。このことから「身勝手な振舞いは身を亡ぼすことにつながるから、決して調子に乗ってはいけない」という意味で、このことわざが生まれました。

自慢したいときもあるけれど

日本の文化において、「驕る」ことにはマイナスのイメージを持っている人が多いようです。自分をよく見せたいのは、人の欲求として仕方のない部分はありますが、「能ある鷹は爪を隠す」ということわざもあるように、たとえ才能や力があっても謙虚な姿勢でいることで、結果的に自身の得にもなるのではないでしょうか。


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