「千載一遇」とは?意味や使い方をご紹介

「千載一遇(せんざいいちぐう)の好機」とよく言いますが、「千載一遇」にどんな意味があるのか、みなさんはご存知ですか?普段何気なく使っていても、正確な意味は知らないという方は意外と多いのではないでしょうか?本記事で「千載一遇」について詳しく学んでみましょう。

目次

  1. 「千載一遇」の意味
  2. 「千載一遇」の使い方
  3. 「千載一遇」の語源
  4. 『三国名臣序賛』
  5. 「千載一遇」の類語

「千載一遇」の意味

「千載一遇の好機」と言えば「滅多に訪れないようなチャンス」の意ですが、「千載一遇(せんざいいちぐう)」とはそもそも何のことか、みなさんはご存知ですか?

「千載」の「載」には積載・掲載などの「のせる」という意味の他に、「年月」という意味があります。つまり「千載」とは「千年」のこと。そして「一遇」は「ひとたび遇うこと」で、「千載一遇」は「千年に一度の機会」を意味する四字熟語なのです。

「千載一遇」の使い方

「千載一遇」は現在「千載一遇の好機」あるいは「千載一遇のチャンス」として使用されることがほとんどです。例えば「千載一遇の好機を逃した」とか「これぞまさしく千載一遇のチャンスだ」といった使い方ですね。

「千載一遇の出会い」という使い方も見かけますが、「一遇」に「出会い・めぐり逢い」といった意味があるので、この用法が正しいのかは微妙なところです。

また筆記する際には「一偶」と間違えないよう注意が必要です。「千載一遇」は、「偶然」ではなく「遭遇」と覚えておくとよいでしょう。

「千載一遇」の語源

「千載一遇」の出典は、五胡十六国時代の中国の歴史家・袁宏(えんこう)の書いた『三国名臣序賛』にあります。これは三国時代に活躍した名臣を讃えたもので、その前書きとして以下の文が載っています。
 

「それ、未だ伯楽(はくらく)に遭わざれば、すなわち千載に一驥(いっき)なし。(中略)千載の一遇は賢智(けんち)の嘉会(かかい)なり。これに遭えば欣ぶ(よろこぶ)無きあたわず、これを喪えば何ぞよく嘆くこと無からんや」

『三国名臣序賛』

伯楽は春秋時代にいた人物で、本名を孫陽(そんよう)といいます。馬の育成や調教技術に優れ、駿馬を見抜く才をもっていたため、伯楽将軍と称されました。

「伯楽に遭わざれば千載に一驥なし」とは、「駿馬があっても伯楽に出会わなければ、千年のうち一驥も見出されることはない」という意味で、優れた臣下との出会いがいかに得難いものかを説いています。

続く「千載の一遇は賢智の嘉会なり」の「嘉会」は「めでたい会合」のことです。「千年にひとたび賢者にめぐり逢えたなら慶事である。そんな相手に出会えたら喜ばずにはおれないし、その機会を失したならば嘆かずにはおれない」と袁宏は述べているんですね。

「千載一遇」の類語

最後に、「千載一遇」とよく似た言葉をいくつかご紹介しましょう。類語ですがそれぞれニュアンスが違うので、状況によって使い分けてみてください。

「一期一会」

二度とない機会という意味では、「一期一会(いちごいちえ)」が「千載一遇」の類語として挙げられます。ただし「一期一会」は茶道から生まれた言葉で、本来は「これが最後の機会と思って専意する」という意味でした。茶会において、そのくらいの気持ちで主客ともに互いに誠意を尽くすということです。

「盲亀の浮木」

滅多にないことのたとえに「盲亀の浮木(もうきのふぼく)」という言葉があります。これは釈迦が弟子に、人間に生まれることのありがたさを説いたとされる、以下の説話に由来しています。
 

大海に棲む盲目の亀が、100年に一度浮上して海上に顔を出すとしましょう。また海には、拳ほどの穴の開いた流木が漂っているとします。盲目の亀が100年ぶりにひょっこり海の上に顔を覗かせたとき、流木の穴にたまたま頭を入れる可能性はあるのでしょうか。

絶対にないとは言えませんが、天文学的な確率であることは間違いないでしょう。釈迦は弟子に「人間に生まれるというのは、この盲目の亀が浮木に頭を入れるよりもっと稀なことなのだ。だから人間に生まれるのは、有り難い(ありがたい・そう有ることが難しいの意)ことなのだよ」と説いています。

盲亀は100年に一度しか顔を出さないわけですから、たとえ10回繰り返しても浮木に頭を入れる可能性は限りなく低いでしょう。つまり千年に一度の「千載一遇」よりも、遥かに珍しいのが「盲亀の浮木」なんですね。


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