「自責の念」とは?意味や使い方をご紹介

強い後悔や罪悪感に襲われたとき、「自責の念」という言葉を使います。「自責の念に苛まれる」「自責の念に駆られる」「自責の念に堪えない」のような形で使われる言葉です。今回は、この「自責の念」の意味や使い方、類義語についてみていきます。

目次

  1. 「自責の念」の意味
  2. 「自責の念」の例文
  3. 「自責の念」の使い方
  4. 「自責の念」の「念」とは?
  5. 「自責の念」の類義語

「自責の念」の意味

「自責の念(じせきのねん)」とは、「自分の過ちを、自分で悪いと思う」という意味の言葉です。

自らの過失や失敗を、人から責められるのではなく、自分で「悪いことをした」「自分が赦せない」という思いを抱くことを指します。「自分を自分で責める念(思い)」ということです。

「自責の念」の例文

  • いじめを見て見ぬふりをしたことで、いじめの共犯者になってしまったのではないかという、自責の念がある。
  • 自責の念に駆られて、泣いてしまった。
  • 自責の念に苛まれ、自殺を考えたこともある。
  • しっかりと反省し、自責の念を抱いて生きていくべきだ。
  • 深い自責の念に襲われる。
  • 彼は人一倍、自責の念が強い。

「自責の念」の使い方

自責の念に駆られる

「自責の念」は「自責の念に駆られる」という使い方をすることがとても多いです。「かられる」とひらがなで使われることも多いですが、漢字で書くと「駆られる」となります。

「駆られる」とは「追い立てられる、追いかけられる、追われる」という意味です。自責の念から逃げようともがいても逃れられないという状態を表しています。

自責の念に苛まれる

「苛まれる」は「さいなまれる」と読みます。「自責の念」のほかにも「悪夢に苛まれる」、「痛みに苛まれる」など、ネガティブな状態に苦しむ様子を表す言葉です。

「苛まれる」は元々は「苛む」という単語で、「苦しむ、いじめる、咎める」という意味になります。この「苛む」を受け身にした形が「苛まれる」です。

「自責の念に苛まれる」で、「自責の念に苦しめられる」「自分で自分をとがめる」という意味の表現になります。

自責の念に襲われる

「襲われる」は「クマに襲われる」「強盗に襲われる」というように、具体的なものに襲撃されるという意味での使い方が一般的ですが、「深い悲しみに襲われる」といったようにネガティブな感情にも使う言葉です。

「自責の念に襲われる」と表現することで、自分の中から湧き上がってくる自責の念を、抑えようとしても抑えられない様子を表しています。

自責の念に堪えない

「堪える」とは「耐える・我慢する」という意味なので、「堪えない」はその逆で「堪えられない・我慢できない」という意味になります。

「自責の念に堪えない」とは、「自責の念を抑えられない」という意味になり、「責任を痛感している」という意味になります。同様の意味の言葉に「慚愧に堪えない」があります。

「自責の念」の「念」とは?

ところで、「自責の念」に使われる「念」は、日常ではなかなか使う言葉ではありません。いったいどのような意味なのでしょうか。

「念」には「思う、覚える、唱える」などの意味があります。しかし、ただ単に「思う」というよりも、「心に強く思う」「一心に思う」など、より強く思うというニュアンスがあります。

例えば、より強い願いのことを「念願」と言います。また、強く思っていたことをあきらめることを「断念」と言います。「念」という言葉を使うときは、より強い思いであるというニュアンスがあるのです。

「自責の念」の類義語

後悔の念

「後悔の念」は「自責の念」に近い意味の言葉です。また、「後悔の念に駆られる」「後悔の念に苛まれる」といったように、使い方もよく似ています。

ニュアンスとしては「後悔の念」は「今日は傘を持って出かけるべきだったと、後悔の念に駆られる」などのように、「自分の罪を責める」以外に、些細な失敗にも使うことのできる言葉です。

良心の呵責

「呵責」とは「責め苦しむこと、強く攻めること」を意味します。「良心の呵責」とは、自分の中の正しい心が、自分の悪い行いを強く責めることを意味します。「良心の呵責」も「苛まれる」などの使い方をします。

罪悪感

「自責の念」「後悔の念」「良心の呵責」などの言葉は「罪悪感」で言い換えることができます。「罪悪感」とは、自分の行いに対して「悪いことをしてしまった」「いけないことをしてしまった」「自分が赦せない」といった思いを抱くことです。


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