「光陰矢の如し」とは?意味や使い方をご紹介

「光陰矢の如し」という言葉は、みなさんもよくご存知だと思います。広く知られていて響きもカッコいいので、日常会話でもよく使われていますが、時折り間違った使い方をしている方も見かけます。ここでは、そんな「光陰矢の如し」の意味や使い方を詳しくご紹介しています。

目次

  1. 「光陰矢の如し」の意味
  2. 「光陰矢の如し」由来
  3. 光陰矢の如し、少年老い易く、学成り難し???
  4. 「光陰矢の如し」使い方
  5. 「光陰矢の如し」のまとめ

「光陰矢の如し」の意味

「こういんやのごとし」と読みます。意味は、月日が過ぎるのは矢が飛んでいくようにとても早いことのたとえです。「光」は日、「陰」は月を意味しており、「光陰」は月日や時間のことを表しています。

「光陰矢の如し」には、ただ単に時間が過ぎるのがとても速いことを言っているだけではなく、月日はあっという間に過ぎ去ってしまい、二度と戻ることはできないのだから無駄に過ごしてはいけない、大切に生きなければいけないという戒めの意味も持ち合わせています。

「光陰矢の如し」由来

「光陰矢の如し」の由来は中国の詩人・李益(りえき)の『游子吟(ゆうしぎん)』とする説や、『禅門諸祖偈頌( ぜんもんしょそしげじゅ )』とする説など、諸説あります。

しかし、「光陰流水の如し(こういんりゅうすいのごとし)」や「光陰鉄砲の如し(こういんてっぽうのごとし)」など、「矢」を他のものに言い換えた表現の存在を考慮すると、当時の人々が技術が発達して早く飛ぶようになった矢と月日の過ぎる速さとを重ねて、同時多発的に「光陰矢の如し」という表現を使い始めたのかもしれません。

光陰矢の如し、少年老い易く、学成り難し???


「光陰矢の如し」と聞いて、すぐに「少年老い易く、学成り難し」と後に続くフレーズが浮かんだ方がいらっしゃるのではないでしょうか?実はこれ、間違いなんです。

「少年老い易く、学成り難し」という言葉は、朱熹(しゅき)という中国の儒学者が書いた「偶成(ぐうせい)」という漢詩の一節ですが、この詩に出てくるのは「光陰矢の如し」ではなく「一寸の光陰軽んずべからず」という言葉です。

『偶成』朱熹

“少年易老学難成。
一寸光陰不可軽。”
 
“少年老い易く学成り難し。
一寸の光陰軽んずべからず。”

これは、『若者でいられる時間はとても短く、その間に学問を成就させることはとても難しい。だから、わずかな時間も決して軽んじてはいけない。(わずかな時間も惜しんで勉強しなさい)』という意味です。

この『一寸の光陰軽んずべからず』と「光陰矢の如し」が混同され、「光陰矢の如し、少年老い易く、学成り難し」とセットで覚えてしまっている方がいらっしゃいます。この二つは、『わずかな時間も無駄に過ごしてはいけない』という教訓を持っている点は共通しています。

しかし「光陰矢の如し」は月日が経つことがとても速いことのたとえですが、「一寸の光陰軽んずべからず」にはその意味はありません。また、「一寸の光陰軽んずべからず」には、わずかな時間を惜しんで勉強しなさいという戒めが込められている点も違います。

似たようなフレーズで、同じような意味を持つ二つの言葉ですが、出典の違いや、細かな意味の違いを抑えておきましょう。

「光陰矢の如し」使い方

「光陰矢の如し」は、どの様に使うのでしょうか。例文を見てみましょう。

「光陰矢の如し」の例文

1.ついこの間生まれたと思っていたのに、もう小学生になるなんて、まさに「光陰矢の如し」だ。

2.「光陰矢の如し」と言うが、還暦を過ぎてその言葉の意味を実感している。

3.思えばあっという間の4年間、「光陰矢の如く」大学生活が終わってしまった。

例文からは、「光陰矢の如し」が月日が経つのが速いことを表現していることがわかります。「光陰矢の如し」は、月日や時間についてのみ、その速さを表現する時に使うので、実際の物の移動や動作のスピードの速さを表現することは誤りです。ご注意ください。

誤用例.さすが、スポーツカーのスピードは「光陰矢の如し」だね。

「光陰矢の如し」のまとめ

いかがでしたでしょうか。「光陰矢の如し」の意味や使い方をご理解いただけましたか。年をとればとるほど、時間の経過が早く感じられるようになるそうです。「光陰矢の如し」、気が付いたら月日が過ぎ去ってしまっていたという事にならない様に、一日一日を大切に生きていきたいものですね。


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