「文人墨客」とは?意味や使い方をご紹介

「文人墨客(ぶんじんぼっかく)」とは、詩文や書画などの優雅で趣のある芸術を創造する人のことを言います。あまり使うことのない言葉ですが、優れた作品を残した作家や芸術家を形容する言葉として使われます。この記事では、「文人墨客」の意味や使い方をご紹介しています。

目次

  1. 「文人墨客」の意味
  2. 「文人墨客」の代表的な人物
  3. 「文人墨客」の使い方と例文
  4. 「文人墨客」のまとめ

「文人墨客」の意味

「文人墨客」とは、「ぶんじんぼっかく」もしくは「ぶんじんぼっきゃく」と読み、詩文や書画などの優雅で趣のある芸術を創造する人のことを言います。

「文人」は、優れた詩や文章を書く人

「文人」は、優れた詩や文章を書く人のことです。中国では「儒学・史学・漢学などに幅広く深い知識があり、優れた文章を書く才能がある人。」という意味で使われていました。

「文人」という言葉が使われ始めた頃の「文人」の条件は、儒学・史学・漢学の教養、詩や文章の才能、貴族や官僚などの支配的地位にあるというもので、はじめ「文人」は学問と徳に秀でた人物を表す言葉でした。

「墨客」は、墨を使って優れた書や絵画を創作する人

「墨客」は、墨を使って優れた書や絵画を創作する人のことで、「墨客」には書道家や水墨画家などが当てはまりますが、広く文学者全体のことを指すこともあります。

「文人墨客」の代表的な人物

「文人墨客」と呼ばれている人物は大勢いますが、その中でも中国と日本の代表的な「文人墨客」をご紹介します。
 

中国の「文人墨客」

  • 白居易(はくきょい:772年~846年)
    中国唐の時代の詩人。唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを詠った長編の漢詩『長恨歌(ちょうごんか)』が有名。平安時代以降、日本の文化に影響を与えた人物の一人。
 
  • 王維(おうい:701年~761年)
    中国等の時代で最も栄えた盛唐の時代の高級官僚であり、詩人。同時に画家・書家・音楽家としても有名で、多彩な才能を発揮させていた。自然をテーマにした詩を多く残しており、「詩中に画あり。画中に詩あり」と称されています。

日本の「文人墨客」

  • 渡辺崋山(わたなべかざん:1793年~1841年)
    江戸時代後期の三河国田原藩(現在の愛知県)の家老であり、画家。卓越した写実的な表現の肖像画で知られている他、自身の挿絵入りの旅行記も残しており、文人としての一面もありました。1841年に、「蛮社の獄」の際に幕府を批判したとして謹慎処分に処されていましたが、藩に迷惑がかかることを恐れ切腹しています。
 
  • 富岡鉄斎(とみおかてっさい:1837年~1924年)
    江戸・明治・大正時代を生きた儒学者・文人画家。「日本最後の文人」と称されている人物。「万巻の書を読み、万里の道を往く」を座右の銘とし、博学な知識を基にした中国の古典文学がテーマの色彩豊かな作品を多く残しています。日本全国を旅し、北海道のアイヌの人々の風俗を描いた「旧蝦夷風俗図」は、富岡鉄斎の代表作です。

「文人墨客」の使い方と例文

「文人墨客」は、小説家や詩人などの文学者や、書道家や画家といった芸術家などの、文芸や芸術の世界で多彩な才能に秀でた人物を指す言葉として使われています。例文を見てみましょう。

「文人墨客」の例文

  • その老舗旅館は、昔から「文人墨客」が逗留することで知られる、由緒正しい格式のある旅館だ。
  • 彼は「文人墨客」を気取っているが、所詮は金持ちの道楽だと陰口を叩かれている。
  • 凡人には何の変哲もなく見えてしまう自然の風景や人々のありふれた日常の姿が、「文人墨客」の手にかかると魅力的に見えてしまうから不思議だ。

「文人墨客」の引用

“温泉宿の一室に於いて、床柱を背負って泰然とおさまり、机の上には原稿用紙をひろげ、もの憂げに煙草のけむりの行末を眺め、長髪を掻き上げて、軽く咳ばらいするところなど、すでに一個の文人墨客の風情がある。”
『令嬢アユ』太宰治
 
“当時のいわゆる文人墨客の群れがしばしばその家に会しては酒をのんで寄せがきをやっていたりした。”
『亮の追憶』寺田寅彦
 
“風流と云ふ事をどう解釈するかは、文人墨客の風流は、先づ日永の遊戯である。”
『東西問答』芥川龍之介

「文人墨客」のまとめ

数々の「文人墨客」が残した文学・詩・絵画などの芸術作品は、長い年月が経っても色あせることなく私たちを感動させる魅力にあふれています。また、多くの「文人墨客」が訪れた旅館などは、今でも「文人墨客」ゆかりの地としてとても人気を集めています。


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